宿題ってやらなくちゃいけないの??
面倒だけど、怒られるのはイヤだからやる・・・。
そんなことを考えているお子さん、多くないですか?笑
ということで、宿題の意味について考えを書いてみました。
あくまで私見です。
まずは意味。
公式な解釈ではないことも含まれていると思いますが、wikipediaでは・・・
広く一般に、学校等で教師が児童・生徒・学生に課す自己学習の課題全般を宿題と呼ぶ。
宿題を出す意図は学校や教師によって様々である。
多くは授業の理解度の確認目的であり、また児童・生徒・学生の意識調査目的である。
宿題の多くは提出期限があり、その期限内に指定された内容を学習して提出することが求められる。
「提出期限を守る」また「守ることができなければペナルティを受ける」という宿題のルールは、会社等の一部の仕事における「与えられた仕事を期限までに完成する」ルールと非常に親和性がある。
そのため宿題を学校教育における社会訓練の一環として重要視する人も多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宿題
上の中で重要だと思われる言葉を抽出すると・・・
1.理解度の確認目的
2.意識調査目的
3.期限までに完成するルールを訓練する一環
こんな感じでしょうか?
では、なぜこんな事をしなくちゃいけないのか?
学校で習った事を理解する事とどうなるのか?
学習に対する意識を調査してどうなるのか?
期限までに完成するルールを訓練するとどうなるのか?
そもそも、これらの目的は宿題で “ なくてはならない “ のか。
それらが、子どもの腑に落ちるようにしているのか・・・?
「管理している風」、「責任を果たしている風」の為になっていないか・・・
あくまで子ども目線、相手目線に立った結論として宿題を出すという結論なのか・・・
少なくとも理解度も確認をしていてフォローがあるならば、
私のような仕事をする人は不要になるはず・・・。
意識調査をしていて、それが個々に落とし込まれていれば、
私のところに来て「勉強する意味がわからない」とか
「将来なんて考えたこともない」という方は少ないはず・・・・。
しかし現実はそれらを説明したり、補完する事が
一つの私の大きな仕事になっています。
しかも、その役割を補完している私が提供していることは、
・宿題を基本的に出さない(もしくは話し合って決める)
・宿題をやってもやらなくても何の賞罰もない。
それでも結果はこのようになっています。
・テストの成績が上がる≒理解度に対する一つの十分な指標。
・勉強に対して前向きに取り組み出す≒意識の向上に対する一つの指標。
・期限前に完成させる、もしくは自らやってくる≒期限までに完成させる一つの形
やっている行為(=宿題)と目的が合致していないと、価値が低くならないかなって思います。
目的ありきの中で行為を選択し出すと、宿題を出すか出さないかは大した差ではないかな・・・と。
そのため、私の教室では宿題を出す場合もあれば無い場合もあります。
「宿題」という単語で宿題を出す場合もあれば、
「宿題では無い」単語で宿題を出す場合もあります。
内容は私が決める場合もあるし、
内容は自分自身で決める場合もあります。
また、何も決めない場合もあります。
そしてこのパターンを小学1年生〜高校3年生まで、
全員違うパターンで、個々の状況に合わせて対応しています。
目的の置き方、設定の仕方がそれぞれ違います。
だとしたら、やり方もそれぞれ違って・・・良くないですか?
行為だけ、形だけに囚われてしまうと、何のためにか見えなくなってしまいますよね。
そうではなくて、「何のために」から出発して、行為を選択していきたいです。
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