昨夜、夫婦で話したことの備忘録として書いておこう。
何から書けはいいかなぁ?
「そらのうた」って、字の教室からスタートして、
今は算数・数学、英語、リトミック、その他いろんな企画。。。
いろいろしているところになっているけれど、
それでも動かない、ぶれない軸があるとしたら、
それはどんなことかなぁ。
私たちは、
そらのうたを単なる塾とは思っていなくて。
スキル、方法をただ一方的に教えるとか伝授する場所ではないと思ってます。
じゃ、何なんだ?って話になるのだけど。
結論から言うと、
そらのうた の考え方とか、想いとか、目指すもの?目的?
そういうのが広まったら、
世界が平和になるんじゃないかと私は思っていて。
平和の定義は広いけど、
世界の人が幸せになるって感覚です。
別に世界平和のために そらのうた を立ち上げてるわけではないし、
世界平和に本当につながっていくのか?
そんな大それたことは、私にはわからないけど。(笑)
私たち夫婦の想いって、何かな?と振り返っていくと、
字を教えることも、
算数・数学を教えることも、
1つのツールでしかないよね。って思ったんです。
そらのうたで、
一番大事にしていることは、
個々を個々として「認める」ってことだと、今は思っています。
認めるって言うとなんだか上から目線になるけど、
「こう思うんだ」
「へぇ、そうなんだ。面白いね」
こういう感じ。
その人、その子が「そのままでOK」でいられる場所。
そんな感じ。
自分を誰かに認めてもらうとか、受入れてもらうって、
めっちゃ大事なことだと思う。
こうしなくちゃいけない。とか、
こうしてはいけない。とか、
誰かに決められた枠に生きている部分が
多かれ少なかれ誰にでもあるので、
いつも「自分のままでいる」って難しいと思います。
でも、そらのうた は、それができる場所であるといいなって思う。
で、それが広がっていくといいなって思う。
今は「何もやりたくない~」「嫌~」って言ってる人も、子どもも、
枠を押し付けられなければ、したいことを夢中にできるんじゃないかな?
したいことを夢中にできる環境って、
その人(子ども)をまるっと信じていないとできないと思う。
そらのうたに通ってくれている人、子どもたちを
全部まるっと信じている私たちでいたい。
そらのうた がいろいろなことをしている場所だとしても、
来てくれている人たち個々の「夢中になれるもの」を
見つけることはできないかもしれない。
いろいろしていると言っても、全然狭いと思うから。
ただ、
私たちの接し方とか、
考え方とか、
そういうものに触れてくれた人たちが、
「このままでいてもいいんだ」って思える自己肯定感を
どこかで感じてくれていたらいい。
認められるって、すごく力になると思います。
それを自分でできる「自己肯定」
それができていると、
自分ではない誰かのことも「肯定」できると思うんですよね。
「わたしは、こう思うけど、
あなたはそう思うんだね。
それもいいよね、アリだよね~」って。
この感覚って、
どんな場面でも活きてくるなぁって思います。
自分と誰かとの「違い」こそ価値のあるものだって気づけると、
そこから新しい何かが生まれたりすると思います。
否定からは争いとかいがみ合いが生まれがちだけど、
肯定からは新しい考え方が生まれると思う。
世界中の人たちがこんな風に考えられたら、
みーんな幸せじゃない?
だって、存在するだけで認められるんだから。
認められたら「もっとこうしてみよう」っていう
向上心とか自立心とか、自主性が生まれると思う。
もっと自分を試してみたくなるんじゃないかな。
そういう世界になっていくといいな。って、すごく思う。
まとまらなかったけど、ま、いいか。
世界の空は繋がっている。
「心の空に鼻歌を♪ そらのうた」
と、無意識に名付けた私もスゴイんじゃない?(笑)
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